鈍い夜
一人だなと思う。と同時に人の中で生きているとも思う。幸せに閉じている。
夢は起床してすぐにメモを取らないと記録に残せない。なぜならすぐに忘れてしまうから。
要求、社会、責任、質、組織。きゃー。
欲しいものはなんですか、ときいてみる。私には今のところ特にないかも。
粉々の脳でぼんやりとこんなことを思った。
夜に何か書くものではない、おやすみ。
存在しないおばあちゃん
9月17日(火)AM3時
こんな時間に目が覚めた。昨日何時に寝たっけ。今日から仕事だからたっぷり寝たかったんだけどな。でもあまり寝不足、という感じはしない。見ごたえのある夢を見たからだろうか。夢の中で私は、地元のような地元じゃないような場所にいた。山を管理するご近所さん、老猫、実家、家庭内別居している存在しないおばあちゃん、の男の孫。私は、おばあちゃんの部屋の記念撮影がしたいと言っていた。こんな夢をみたのは東京に疲れているからかな?なんちゃって。昨日見た映画があまりにも東京東京していたからだろう。今日から仕事。不安である。
9月17日(火)PM6時10分
杞憂であった。
半径の範囲
できれば完璧に生きたい。
でも、完璧に生きるために意気込んでいると疲れる。完璧に生きれなかったときも反動で疲れる。
思えば完璧に生きるとは漠然としていて途方もない願いだ。
完璧に生きようと欲張らないほうがいいのかもしれない。つまり、小さく生きる。
今、目の前の仕事のことで頭をいっぱいにできるか。
これから食べるご飯に体の良いものを選べるか。
この瞬間を心地よく生きれるか。
手の届く範囲で、つまりささやかな半径に該当する自分の領域の今を、どれだけ幸せに過ごせるか。
考えなきゃいけないことなんて本当はそれくらいしかないのかもしれない、と思う週末の夜でした。
頭に爆弾
頭に爆弾を抱えながら生きている。
私の抱えている病を一言で説明するならこうだ。爆弾を抱えながら、障害者雇用で働いている。爆発しそうな頭はいつだって休みたがっているけど、働かないことには生きていけないから仕方ない。
2024年5月16日の朝、5時半に目が覚めた。猛烈な倦怠感。そういえば昨日の夜、シャワーを浴びていなかった。浴びなきゃ。しかし身体が動かない。脳が指令を出すのを拒否している。その時、するりと、本当にごく自然に「仕事を休もう」と思った。
休むときだ、と思ったのだ。頭の爆弾が暴発しそうになっている。そんな気がしたから。
8時20分。職場に連絡を入れ、そこから昼過ぎまで死んだように眠っていた。
お風呂に入れなかったのは不調の合図だったのだろうか。やはりどこかおかしかったのかもしれない。
時々、こういうことがあるのを受け入れようか。それとも今後はこういうことがおこらないよう工夫をしようか。
爆弾は、透明だけどたしかにそこにある。
10月の振り返り
【読んだ本】
【観た映画】
『ひなぎく』ヴェラ・ヒティロヴァー
【行った展示】
・「横尾忠則 寒山百得」展(東京国立博物館)イラストチックで可愛い絵が多かった気がする。筆致を目で追うのが楽しかったです。
・特別展「京都・南山城の仏像」(東京国立博物館)スケッチしている人がいました。
・クーばあちゃんの魔法の花空間 ~庫淑蘭切り絵展~(日中友好会館美術館)
【仕事】
・就職試験の2次試験(面接)を受けた。結果発表は11月7日。
・バイトの面接を3つ受けた。
【学習】
・大学のスクーリングがはじまった。
・統計学の勉強をはじめた。
・哲学と社会学の勉強は上半期に引き続き続行。
・英語に加えてドイツ語と中国語の語学学習もはじめた。「少しずつ」を継続するのが目標。
・11月に受けるIパスの勉強もじわじわ。
【創作】
・文藝賞に応募することにした。来年の3月末が〆切なのでそれまでに今書いている小説を完成させる。
・短歌を7つ作りました。